人生の楽しさを増やす為の、教養の身につけ方。

今回読んだ本はコチラの本になります。

著者はライフネット生命の会長である、出口治明さんです。

知識や教養と聞くと、ビジネスの為の、お金を稼ぐ為のとか、学習の側面が多いような気がしますが、
実は教養というのは、自分の人生の楽しみを増やし、人生を豊かにするもんなんだなと、この本を読んで自分は気づきました。

それでは早速ですが、本書を読んで気になった部分を一部紹介していきます。

教養があれば人生の楽しみが増える。

・知識は手段、教養が目的

・知識が必要なのは、それによって人生の楽しみが増えるからです。
サッカーを知らなければテレビでワールドカップを放映していても面白くも何ともありませんが、サッカーを知っていれば最高の時間になります。
知識はその人の興味の範囲を広げてくれます。それが「教養化した知識」

・興味の対象が多ければ多いほど、本当に自分が好きなものや、打ち込めるものが見つかる確度が高まります。
つまり、選択肢が広がるのです。
自分が本当に好きなものは案外見つからないものです。
面白いことが多いのは決して悪いたことではないでしょう。

・また、面白いことは一つで十分だと考えていると、食わず嫌いに陥る可能性があります。
食べてみたらすごくおいしいと感じる食事であっても、食べてみなければそのよさは分かりません

・知ること」には「嫌いなものを減らす」効果もあります。
先入観による嫌悪を除去できれば、さまざまなものとの相互理解が進みます

知っているからこそ楽しめるということは、結構あることなんじゃないでしょうか?
それも見たことあるだけじゃなくて、体験したことなれば、さらに楽しることがあると自分は思います。
例えばサッカーであれば、ルールを知ってるだけじゃなく、実際にサッカーを部活でやっていたとなれば
あの技をするにはメチャクチャ技術が必要!とか、あれをあの場面で出来るのメチャメチャ凄い!とか、
実際に体験してる人と、ただ知っている人では、楽しめる幅も奥行きも全然違うと思います。
このように、知らないより、知ってる。知ってるより、体験したことがある人の方が、人生をより楽しむことが出来るでしょう。


知識は自分の頭で考えることが重要。

・教養のもう一つの本質は、「自分の頭で考える」ことにあります。
著名な科学史家の山本義隆氏は、勉強の目的について「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、要するにものごとを自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため。
たったそれだけのことです。そのために勉強するのです」と語っています

・ネット空間などにはあふれています。ランキング情報やベストセラー情報などは、その最たる例です。
あるいは情報がコンパクトにまとめられたテレビ番組もたくさんあります。多くの人が、まるでコンビニへ買い物にでも行くかのように「答え」の情報に群がり、分かった気になっています 。

・決定的に重要なのは「自分の意見」を持っている 。
「自分の意見」をもとに自分の生き方を追求し、自分の人生を 謳歌 することが彼らの理想です。
「自分の意見」がないことは、自分の人生の基盤を持っていないこととほぼイコールなのです。

・教養には「知識がある」だけでは不十分で、それに加えて「自分の頭で考える」ことが不可欠です。
しかし、現代の日本人はこれが不得手です。
戦後一貫して「考えない」ほうがむしろすべてがうまくまわる社会システムのもとで生きてきて、その成功体験がしみついているからです 。

戦後の高度成長期の日本は一人一人が個人の考え持って行動するより、機械のように右に習えで言われてことをやっていれば、上手くいったし、その時代には非常に効率のいいやり方でした。
しかし、高度成長の時代は終わり、成長は鈍化し、世の中の変化が激しい時代、個人の時代になって来ました。
そんな今の時代に重要なのは、自分の頭で考え行動すること、自分のポジションを持つことです。
今は安全な箱やベルトコンベーアーはなくなり、ある種の大航海時代。
箱に入ってベルトコンベアーに乗ることはできず、
波や潮や風の流れ読みながら、刻々と変化する海を、自分の考えと経験と知恵持って、進んでいかなくてなりません。


感情ではなく、数値や結果、構造から思考すべし

・「国語ではなく算数で」考える

・物事を「国語」で考える、すなわち定性的に考えると、物事の筋道を見出すことはできますが、事実の有無、事柄の大小や軽重、相互の関係などは必ずしも明確にはなりません。
そのため、筋道が成り立ちさえすれば、どんな理屈でも言えてしまうという一面があります。

・「数字・ファクト・ロジック」で

・物事の本質はシンプルなロジックでとらえるべき  物事を考えるにあたっては、本質を把握することが何よりも大切です。
要するに個々の木を見る前に森の姿、森の全体像をしっかりととらえることが肝要です。
最初に物事の本質を的確につかんでおけば、間違える確率が大幅に減少します。

自分の場合では、自分ごとに変換して考えたりします。
自分ごとに変換すると、その物事がリアルサイズになるので、学習が腑に落ちて体に入りやすくなります。


意思が弱いのであれば、意思を使わずに機械的にルーチン化。

・自分の行動を「ルール化」して判断を省力

・教養を深めるうえでは、学ぶ時間を生活習慣のなかにうまく取り込むことも大切です。
毎朝新聞を三紙読み、寝る前に一時間本を読むのは、歯をみがくのと同じように私の生活習慣の一部になっています。
私は元来がとてもものぐさな人間で、個々の事柄についていちいち考え、判断するのが面倒で嫌なので、多くの事柄について、自分の行動基準をあらかじめ「ルール化」し、それに基づいて機械的に動くようにしています。

自分も意思がメチャメチャ弱いです。
やろうと思って基本的にすぐに出来ない、メチャクチャ腰が重い。
なぜ重いのかというと、やる前に頭で考えしまうからです。
今からどのくらい勉強して、これをやることで自分はどうなってとか、
であれば意思とか頭を使わないのが一番いいと自分も思います。
決まった時間に、決まったことを、決まった分だけやる。
これなら頭を使わずに出来るはずです。


新しい分野の本は、まずは分厚い難しい本から読むべし

・たとえば、何か新しい分野を勉強しようとするときは、まず図書館で、その分野の厚い本を五、六冊借りてきて読み始めます。
分厚い本から読み始め、だんだん薄い本へと読み進んでいく。
これが新しい分野を勉強しようとするときの私の読み方のルールです

・一般的には、薄い入門書から読み始めて、次第に分厚い本に挑んでいくようですが、私は逆のほうがいいと思っています。
分厚い本には詳しく高度なことがたくさん書かれていますから、最初は何が書いてあるのか分からず、読むのが大変です。
しかし、「この分野について勉強しよう」と決めているのですから、辛抱してていねいに読みます。
それでも、たいていは部分的にしか理解できませんので、最初の一冊は「点の理解」にとどまります。

・二冊目を読むと、こんどは少しずつ点と点が結びついてこれまで理解したことがつながり始めます。
「線の理解」、すなわち線が浮かんでくるのです。
分厚い本を五冊ぐらい読んでから薄い本を読むと、それまでの点がすべて線になってつながり、さらには「なるほど、この分野はこういうことなのか」と全体像が見えてきて、一挙に「面の理解」に広がります。
極論すると、いままで読んだ本すべてが、同時に腑に落ちるのです。

・一般に、入門書は薄い本が多いのですが、初めに薄い本を読んでしまうと、何となく概略がつかめた気になって、分厚い本を読まなくなる恐れがあります。もう分かったと思ってしまって、手間のかかる本が面倒になるのです。

これは大分、以外な考え方ですね。自分は薄い本からまず気軽に始めると色々な本で学んでいたので、
これは全く逆の考え方で面白いです。
かなりスパルタなやり方で、脳みその根性が必要そうですが、これは体験したことないやり方なので、
一度分厚い本から攻めてみようかと思います。
この点を集めて、線にして、線を集めて、知識を立体にすると言うのは確かにあります。
なので途中で諦めずに、学習を続けて点を集めるというのは重要だと思います。


以上が自分の気になったポイントになります。

教養をもっともっと身につけて、もっと色々なことを知るだけでなく、実際に体験をして
人生を歳を追うごとに楽しくして行きたいですね^^

この本は教養の本質を学びたい。学習の精度を高めて、人生をもっと豊かなものにしたい。
と言う人にオススメの本になります。


これは毎回書いてます。

これはあくまで自分から見た本書の視点なので
興味のある方は、実際に読んでみて、自分なりの答えや考えを導き出しましょう。

そして本に書かれててることが、全て事実ではありません。
これはあくまで一つの意見であり、絶対的な意見でもなければ、答えでもありません。
重要なのはここから、自分は何を感じるのか?自分であればどう考え、どう行動するのか?
ここが重要だと思います。

本やそれ以外のことで知識を得る時に危険なのは、
その情報や知識を鵜呑みにすること
思考が停止し、考える力がなくなることです。

本を読む時はそういったことを意識しながら、読むことをオススメします。


今回読んだ本