時代の転換期に必要な人生戦略。

今回読んだ本はコチラの本になります。

日本再興戦略 落合陽一 著

AI、仮想通貨などのブロックチェーン技術、人口減少、超高齢化社会など、日本を含め世界で今、時代の大きな転換期を迎えています。

大量生産、平均一律から、少量多種生産、個人へ
資本主義経済から、価値主義経済へ

そんな転換期の中で、日本はこれからどうしてい行けば良いのか?
また個人としては、どう行動していけばいいのか?

そんなことが書かれている一冊になります。

それでは早速、気になったポイントをいくつか紹介していきます。


右へならえで、全員が足並みを揃えていればよかった、今までの時代

1945年以降の日本は、足並みをそろえ、官僚がトップダウンで政策をつくった世界だったので、一個人は自分の考えを明確に持たなくてもいいように道筋が立っていました。

我々の教育は、人に言われたことをやるのに特化していて、新しいことを始めるのには特化していないからです。しかし、それで良かったのです。むしろそのほうが近代的工業生産社会(*19)では優位に立てたのです。

みなが均質な教育を受けていて、何も言わなくても足並みがそろうからです。不良品が少なく、コミュニケーションコストが低く、同調によって幸せ感を演出できる社会は非常にうまくデザインされていたといえるでしょう。幸せは演出され、成長は計画されてきたのです。

戦後のモノが不足していた時代、行動経済成長期の時代は、モノを作れば作るほど売れる、大量生産、大量消費が当たり前でした。

しかし、今は逆にモノが溢れてしまい、モノの価値が下がり、人の価値も集団的な価値から、個々にカスタマイズされた価値に変わり、また物質よりも精神的な価値が重要視されるようになってきています。

なので今までのよう、集団的に行動していては、個人の価値はどんどん失われてしまいます。

これからは重要なのは百姓的生き方

本来、江戸の日本には、100、200、300という複数の職業があって、そのうち何個かの職業を一人が兼任して、みなで助け合いながら、働いてきました。ポートフォリオマネジメントされていたため誰かが技術失業することはありませんでした。

日本人は、古来、生活の一部として仕事をしていました。先に述べた百姓という言葉は、農耕主体の社会において100の細かい別々の仕事をしているという意味です。東洋的には、ずっと仕事の中にいながら生きている、そしてそれがストレスなく生活と一致しているのが美しい。むしろオンとオフを切り分けたら、世界は幸せな状態ではなくなるのです。つまり負荷がかかっている状態を容認することになる。無理なくできることを組み合わせて生きていけるようにポートフォリオ設計することが大切なのです。

とくにこれから重要になるのが、「百姓的な」生き方です。百の生業を成すことを目指したほうがいいのです。そうすれば、いろんな仕事をポートフォリオマネジメントしているので、コモディティになる余地がありません。ひもを縒っているときもあれば、わらじをつくっているときもあり、稲を刈っているときもある。現代でいうと、堀江貴文さんです。堀江さんも、メディアに出ているときもあれば、肉をたたいているときもあり、サバイバルゲームで銃を撃っているときもあります。まさに「多動力こそ百姓」です

しかもこれからは、技術的発展によってクリエイティブクラスとして活躍しやすくなってきます。たとえば、明治時代には、クリエイティブクラスや百姓としてマルチタレントを発揮するには、相当、ずば抜けていないと厳しかった。もしくは社会からの距離を感じざるをえなかった。しかし、今後は専門性をコンピューターが代替できるようになると、専門性の高いところから能力の訓練が解放されて、マルチタレントを生かしやすくなってくるはずです

終身雇用制度もなくなり、大企業も絶対安泰でない、変化が激しい時代、一つの企業に属しやり続けるというのは、非常にリスクが高くなっています。またはフリーランスや会社を持っていたとしても、一つの業種のみだと同じようにリスクが高くなります。

それよりも複数の職種をもつことで、リスク分散されますし、また職種の掛け合わせてによって、新たな価値や需要が生まれたり、個人としてもレアな存在になれます。これにより仕事を失う心配もなくなります。

専門性を持って横展開していく

これまでの価値観では、ひとつのことを専門家としてするほうがかっこよく見えていますが、今後は、いくつもの職業を掛け持ちすることが大切になってきます

タコつぼにならないようにするためのコツは明確です。横に展開していけばいいのです。ひとつの専門性でトップレベルに上り詰めれば、他の分野のトップ人材にも会えるようになります

まずは一個の専門性を掘り下げて名を上げたほうがいいのです。ニッチな分野でも構いませんので、とにかくまずは専門性を掘るべきです。せめてひとつは、トップ・オブ・トップの人と話すに足る何かを探さなくてはいけません

トップ・オブ・トップの人たちに会うのは、とても刺激になります。たぶん、僕のトップ・オブ・トップの分野は研究やアートです。10代と20代は、コンピューターを土台にしながら、アートやリサーチにのめり込んできました。そこでの実績があるからこそ、いろんな分野のトップ・オブ・トップに会えるのです。

まず一つの専門性を高めていき、そしてそれを横展開していく。これは必ずしもその高めた専門性に絡めた事じゃなくても、自分はいいと思います。なぜならその専門性を軸に考えてしまうと、視野が非常にせまくなり、やれることが限られてきますし、思考の範囲内でしか行動ができなくなります。それよりも専門性を無視した領域で、純粋に自分が興味があるものに手を出した方が、自分の想像を超えた新しいシナジーが生まれる可能性がありますし、自由度もあってやってる方も楽しいと思います。

ただトップレベルまで個人的には必要ないというか、ハードルが高いので100人中1位くらいのレベルでいいと思います。
あとはその100人中1位のレベルのものを複数かけ合わせれば、

トップオブトップにまで持っていけると思います。

仕事とプライベートの垣根がなくなっていく

しかし、これからは、ワークとライフが無差別となり、すべての時間がワークかつライフとなります。「ワークアズライフ」となるのです。生きていることによって、価値を稼ぎ、そして価値を高める時代になる

要するに、1日中、仕事やアクティビティを重視していても、遊びの要素を取り入れて心身のストレスコントロールがちゃんとできていれば、それでもいいの

価値がお金や物などの物質的な価値から、体験や貢献などの精神的な価値に移り変わっているこの時代、やはり仕事でも精神的な価値が求められるので、自分もライフとワークは徐々に同化していくと思います。

考えるな、出来ることからまずやれ。

 これからの時代においては、いろんなリスクばかりを考えて、なかなかチャレンジできないと、機械と同質化する一方になってしまいます。そういう人たちは、ベーシックインカムに呑み込まれるしかなくなります。

「手を動かせ。モノを作れ。批評家になるな。ポジションを取った後に批評しろ」  僕は研究室の学生によくそう言っています。悩んでばかりでは意味がない。とにかくまずやってみる。その繰り返しの末にオリジナリティが生まれ、世の中を変えることができる。それが僕の伝えたいメッセージです

言うは易く、行うは難し。考えているだけではダメです。とにかくやってみることからすべてが始まります。大外れするものもあれば、圧倒的にうまくいくこともあります。自らの道を選択し、迷いながらも手を動かすと、肌感覚としていろんなことがわかってきました。

リスクを取らずに流れに身を任せていると、どんどんと機械やAIの自動化の波に飲まれてしまいます。
新しいモノやコトは、見たこと聞いたことだけでは何も分かりません。
それよりもまずは自分でやること、体験すること。自分自身が直接感じることで初めて分かります。


誰でも出来る仕事は、人件費の安い海外に奪われ、機械やAIに置き換わります。また効率化を図るために仕事ホワイトカラーの仕事も、どんどんテクノロジーによって無くなっていくでしょう。

まぁこれは特別に怖いことではなく、人力車から車に変わって来たように、いつの時代でも起きていたことだと思います。
そしてそういった変化の時代に大事なのは、自分自身も変化していくことだと自分は思います。

今回書いたこと以外に、これから未来に向けた日本のあるべき姿、社会構造、新しいリーダーについて、世界的視点、歴史的観点から語られています。

気になった方はぜひ読んでみてください。

日本再興戦略