今回読んだ本はコチラの本になります。
著者は、伊藤忠商事の元会長で現在、早稲田大学特命教授、伊藤忠商事名誉理事の丹羽宇一郎さんです。
自分の感覚では社長や経営者など、上に行けば行くほど、普通の人より勉強熱心で、読書など自己鍛錬を常に怠らないイメージがいあります。
恐らく、普通の人よりも時間がない彼らが、時間を作って勉強出来てるのだから、自分のような普通の人間が忙しくて読書するような時間がない、というのは言い訳にならないと思います。
経済的自由、思考的な自由を手に入れるには、やはり習慣的な読書など常に学び続ける必要があると考えます。
本書では学習習慣としての読書にどんな意味があるのか?また、読書する上で大事な考え方について書かれています。
それでは早速、本書を読んで気になったポイントを、いくつか紹介していきます。
自由な時代だからこそ、読書で自分の軸を身につける。
・「何でもあり」の世界は一見自由なようですが、自分の軸がなければ、じつはとても不自由です。それは前へ進むための羅針盤や地図がないのと同じだからです。それらがなければ、限られた狭いなかでしか動けません。
・では、自分の軸を持つにはどうすればいいか? それには本当の「知」を鍛えるしかありません。読書はそんな力を、この上なくもたらしてくれるはずです。
今はネットの普及により、個人が発信したり、商売を始めたり、何かを表現するにはものすごく自由な世界になりました。
情報だって自由に手に入れることが出来ますし、遠くにいる人ともネットを通じてすぐに会うことも出来ます。
しかし、自由ということは逆に言うと、自分の中でしっかりとした軸やコンパスをもっていないと、たちまち迷子になってしまいます。どんな情報を得て、何をしていけばいいか分からなってしまいます。
そうならない為にも、日頃から読書など学習をし、自分の頭で考える力を身につけなければならないのです。
ネットの情報ではなく、なぜ本から学ぶのか?
・ネットで検索すれば、簡単に知ることはできます。
しかし、そこで得られるのは単なる情報にすぎません。
細切れの断片的な情報をいくらたくさん持っていても、それは知識とは呼べません。
なぜなら情報は「考える」作業を経ないと、知識にならないからです。・考えることによって、さまざまな情報が有機的に結合し、知識になるのです。読書で得たものが知識になるのは、本を読む行為が往々にして「考える」ことを伴うものだからです。
全てがそうではないですが、ネットには表面的な答えのみが書かれていることが多いです。
その点、本にはその答えが出るまでの経緯などが書かれています。
そう行った文脈の中で、自分の思考を巡らせ、そして知識と変換されていくのです。
ネットの情報が平面的なのに対してい、本は色々な角度から立体的に学ぶことが可能なのです。
読んでみて、ダメだった本にだって意味がある。
・本はいってみれば、人間力を磨くための栄養です。
草木にとっての水のようなものといえます。
したがって雑草にせっせと水をやるよりは、大木になりそうな木に水をやったほうがいい。
しかしながら、どれが大きく育つ木になるのかがわからなかったり、そもそも大木か雑草かの見分けがつかなかったりすることもあります。
となると、乱読はともすれば、雑草にもたくさん水をやるような行為になりえます。・もっとも私は、雑草に水をやるような読書は無駄である、といいたいわけではありません。
雑草があるからこそ、大木の価値もわかるわけだし、雑草のような本をいろいろ読むことで本を見る目も養われます。・買って読んでみたけど雑草だったというような無駄なお金をたくさん使うことで、「これはいい花を咲かせそうだ」とか「太いしっかりした木に育ちそうだ」といった見当がだんだんんつくようになります。
そして、買った本のなかで雑草だったという割合が減ってくる。
その意味では、読んでみたけど雑草だったという経験は必要なのです。
自分自身も本を買うときは、あまり深くは考えません。
ネットで欲しいと思ったら迷わず買います。
もちろん書店で本を選ぶ場合は、目次や中身を簡単にみて面白そうだなと思ったら買います。
ダメな本の目利きができるようになるという側面もあるんですが、あまり深く考えないことで、思いもよらない出会いや知見を得られるというメリットもあります。
個人的には気になった本はどんどん買うべきだと思います。
人がすすめる本は当てにならない。
・いろんな若い人と本の話をしていると、「どういう本がおすすめですか?」といったことをたまに聞かれます。
そんなとき私はこう答えるようにしています。
「あなたが面白そうだと思うものを読みなさい。」・私がこれは大木だと思っている本でも、人からすれば雑草かもしれない。
逆に人がこれはりっぱな木だと考えている本が、私にとっては雑草にすぎないかもしれない。
立場によって、考え方や感じ方によって、これはいい本だとか必読すべき本だといった価値観は変わるものです。
人がいくらいいといっても、関心のないものは一生懸命に読んでも頭に入らない。
何でもそうですが、人によって合う合わないは本に限らずあって、その人がいいと言うから必ずいい本だとは限りません。
ただ自分が尊敬する人、自分の理想とする人がオススメするような本は、↑に書いてあることが当てはまらない場合があると、自分は考えます。
なぜなら、自分が尊敬する人がすすめている本というのは、その人の思考の源流を知ることができるからです。
もちろん盲目的に鵜呑みにするのは良くないですが、このように一部例外もあると思います。
いい本を見抜く方法
・私が本を買う決め手とするのは、目次です。書店で本を手にしたときは、まず目次をじっくり読みます。目次を見れば、どういう内容なのか、どういう構成で展開しようとしているのかがほぼわかる。
・目次は、私にとってはかなり重要です。まえがきに目を走らせることもありますが、あまり買う買わないを左右されることはない。やはり目次が決定的な材料です。
自分の場合はまずタイトルを見て、気になるもの、自分が知識として欲している本を探します。
そして次に目次を見て、自分の欲求を満たしてくれるものか見定めて、良さそうなら少し中身をみて、最終的に買うか買わないかを決めています。
なので重要なのは、自分がその本を読む目的を考えるのと、その本がその目的を達成してくれるのか?
この2点でタイトルと目次を見るのがいいかと思います。
難しい本の入門書や解説書は必要か?
・哲学関係の書物でも、さまざまな哲学者が著した有名な本をガイドブック風に紹介した入門書がいろいろと出ています。
しかしながら、こうした入門書や解説書を読むのは、旅行に行かずに絵ハガキやネットの画像で満足してしまうのに似ているかもしれません。・しかし、実際には、現地に行かないとわからないことがたくさんあります。
五感を使って自然を感じたり、そこで暮らす人たちとコミュニケーションをとったりすることは、写真では体験できません。
入門書や解説書もそれと同じで、オリジナルを読まないとわからないこと、味わえないことがたくさんあるはずです。・しかしながら解説書ばかり読んでいては、著者が本当に伝えたいことを自分のものにすることはできません。
オリジナルの本を読むには時間も手間もかかりますが、エネルギーを使った分だけ、確実にそれらが血肉になります。
つまり、コストをかけた分、自分の思考や言葉にすることができるのです。
そのジャンルに非常に興味があり、難しくて読み切る気力や体力があるのであれば、簡単な入門書を読んで満足して知識が止まってしまうよりも、最初から難しい本を読んでしまった方がいいでしょう。
最初に難しい本を読み切ってしまえば、あとの本は読みやすくなり、そのジャンルに対して知識も広げやすくなると自分は思います。
不足している感情を本で補う。
・感情はいろいろな形で発散させたほうがいい。
理性ばかりを働かせていたらバランスが崩れるので、感情も動かす必要があるのです。
だから、脳みそを使う読書ばかりしているようなら、ときおりリラックスさせてくれるような本を読むのはいいと思います。・人間の感情は、一方向に偏ることがあります。
ですから、仕事などで緊張した状態が続いていれば、リラックスしたり、泣いたり、笑ったり、感動したりと、感情をいい形で動かすことができるといいのですが、本はまさにうってつけです。・本は感情を豊かにするだけでなく、ふだんあまり自分が出さない種類の感情も学ばせてくれる。
読書は感情をも磨いてくれるのです。それもまた、読書の効用の一つかもしれません
ついつい自分の思考や感情にあったは本を買ってしまいがちですが、自分の考え方と全く逆な本や、自分の頭や普段の生活に全くないジャンルの本をあえて買うというのは、新しい発見や、新しい視点を得るという意味で、非常に重要なことだと自分も思います。
自分の考えと同じ本ばかり買ってしまっていては、思考が偏ってしまって、それは逆に危険な行為になるかもしれなせん。
思考のフックが自分に運を引き寄せる。
・セレンディピティ(serendipity)という言葉があります。
素晴らしい偶然に出会ったり、予想外のものを発見するという意味の言葉ですが、本をよく読んでいると、このようなセレンディピティは起こりやすくなると思います。・読書をすると自分のなかに引き出しがたくさんでき、問題意識が生まれます。
つまり思考の棚に、さまざまなフックができるのです。
フックがなければ素通りしてしまうようなことも、フックがあれば、他人と同じものを見ても引っかかって、そこから新しい展開や可能性が開けたりします。・もちろん自分のなかにいろいろな引き出しや問題意識を持っていても、行動が伴わなくては、せっかくセレンディピティが起きても生かせないこともあります。
どんなに素晴らしいチャンスが自分の目の前に来ても、それに気づくことができなくては、そのチャンスを得ることはできません。
また仮にそのチャンスを気づいたとしても、そのチャンスを掴む能力がなければ、同じそのチャンスを掴むことはできません。
チャンスというのは全てに人間に平等にあって、重要なのはそのチャンスに気づき、さらにチャンスを掴む準備ができているなのです。
以上が自分の気になったポイントになります。
これから読書を始めて色々と勉強していきたい、本は読んでるけどイマイチ実生活に活かせていない、もっと読書通じて自分を高めたいと思っている方には本書をオススメ致します。
これは毎回書いてます。
これはあくまで自分から見た本書の視点なので
興味のある方は、実際に読んでみて、自分なりの答えや考えを導き出しましょう。
そして本に書かれててることが、全て事実ではありません。
これはあくまで一つの意見であり、絶対的な意見でもなければ、答えでもありません。
重要なのはここから、自分は何を感じるのか?自分であればどう考え、どう行動するのか?
ここが重要だと思います。
本やそれ以外のことで知識を得る時に危険なのは、
その情報や知識を鵜呑みにすること
思考が停止し、考える力がなくなることです。
本を読む時はそういったことを意識しながら、読むことをオススメします。
今回読んだ本
目次
第1章 本に代わるものはない
第2章 どんな本を読めばいいのか
第3章 頭を使う読書の効用
第4章 本を読まない日はない
第5章 読書の真価は生き方に表れる
第6章 本の底力
最近のコメント